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「日本怪奇小説傑作集3」

2006/07/30 18:43
日本怪奇小説傑作集 3」(紀田順一郎・東雅夫編/創元推理文庫)を読みました。
収録されているのは昭和35年から平成5年までに発表された17編。

この3巻に至ると、作者の名前を知っているどころか、昔読んだ作品もあります。
半村良「箪笥」筒井康隆「遠い座敷」など。どちらも日本家屋の特殊さを巧く利用した作品です。
小松左京「くだんのはは」など、未読なのにしっかりストーリーを知っていたという。

「箪笥」は地元の老婆が方言丸出しで語る不思議な話で、やはり怪談は語り口だよなあと思わせます。

逆にその語り口というか文体が独特で読みにくかったのが、稲垣足穂「山ン本五郎左衛門只今退散仕る」と、吉田健一「幽霊」。
前者は漢字とカタカナの混交文。ある屋敷で毎晩発生するポルターガイスト現象の話。妙に呑気でユーモアのある話です。
後者はロマンティックな幽霊譚ですが、凄まじい悪文。
わたしは吉田氏の翻訳で幾度もお世話になっているけれども……これは酷い凄いとしか言いようがありません。

やはり翻訳家のイメージが強い澁澤龍彦「ぼろんじ」。
てっきり専門のヨーロッパ系の話かと思ったら江戸時代を舞台にした話です。

最もグッと来たのは次の二作。
荒木良一「名笛秘曲」と赤江瀑「海贄考」。
前者は本職の小説家ではないようですが、おぞましさと官能を微妙なバランスで配置した物語の構成美が見事。
後者は主観と客観のズレがポイントです。
漁村にやって来て心中に失敗し、生き残ってしまった男の周りで起こる異変。
それについて男の視点と、三人称の視点があり、事実を知るとゾクッと来ますね。

阿刀田高「縄―編集者への手紙―」。
阿刀田氏はわたしにとっては優れたエッセイイスト、アンソロジー編集者というイメージ。
このタイプの小説家は当たり外れが少なく、特別な一編を選ぶのは難しいのではないかと憶測しました。「門のある家」の星新一もしかり。
ちなみに昔彼が編んだ「恐怖特急」というアンソロジーを読んだことがありますが、あれは良かった。
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「日本怪奇小説傑作集2」

2006/07/23 13:37
日本怪奇小説傑作集 2」(紀田順一郎・東雅夫編/創元推理文庫)を読みました。

昭和10年から36年までに発表された怪奇短編を集めたもので、第一巻の大正ロマンというか、古典文学的な面子や作風は影をひそめています。

序文で紀田順一郎が、日本と西洋の怪談の相違について触れていますが、実際海外の作品の影響も感じられます。
冒頭の二作城昌幸「人花」横溝正史「かいやぐら物語」は偶然かどうかは知らないけれども、コリアやフォークナーの短編を思わせます。
三橋一夫「夢」は明らかにアンブローズ・ビアスの本家取りと考えられる作品。
火野葦平「怪談宋公館」中島敦「木乃伊」日影丈吉「猫の泉」 などはそのまま外国が舞台です。

それにしても横溝正史「かいやぐら物語」は非常に幽玄でロマンチックな話。
個人的には「エミリーに薔薇を」よりは「かいやぐら物語」ですかね。
金田一ものは一通り読んだんですが、こっちの方が本領だったりして。
アンソロジーというのはこういう発見があるところが良いんですよね。

また、妖怪幽鬼とは無縁の話も収録されています。言ってみれば生きている人間の怖さ。
角田喜久雄「鬼啾」三島由紀夫「復讐」円地文子「黒髪変化」などがそれにあたります。

これらの作品を『怪奇小説』と呼ぶということは、編者の怪奇小説に対する定義の広さを感じますが、わたし的にこれぞ怪奇小説だと感じたのは、西尾正「海蛇」 山田風太郎「人間華」の二作でしょうか。
エロ・グロ・ナンセンスがわたしの怪奇小説に対するイメージ。
バカバカしさと紙一重な感じがするのがポイントです(笑)。

読んで良かった!と思ったのは先述の横溝正史「かいやぐら物語」と、橘外男「逗子物語」そして山本周五郎「その木戸を通って」。
「逗子物語」は正統的な怪談。
「その木戸を通って」は江戸時代の話ですが、和風ファンタジーとも命名すべき佳編。
レイ・ブラッドベリあたりの作品が好きな人にはグッとくるでしょう。

好きなコーネル・ウールリッチの作品を換骨奪胎した小説もあるということで、山本周五郎の作品群もいずれ読んでみたいと思いました。
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手塚治虫「火の鳥・望郷編」

2006/07/22 19:24
手塚治虫「火の鳥 6 望郷編 (6)」(角川文庫)を読みました。

地球から駆け落ちし、エデンという小さな星に愛の巣を構えた丈二とロミ。
そこは水もない岩だらけの不毛な世界でした。
丈二は事故死し、ロミは冷凍睡眠によって20年間眠りに就き、覚醒後息子のカインと子孫を作ることを決意します。
しかしふたりの間に生まれた七人の子どもたちは全て男の子。カインも若くしてなくなります。
子どもたちが成長する時までと、再び冷凍睡眠に入ったロミ。
しかし二度目の目覚めの後も、生まれてくるのは男の子ばかりでした。
ロミは三度目の冷凍睡眠に入ります。

次にロミが目覚めた時、土地は耕され文明が生まれ始めていました。
七人の息子の一人セブが、不定形生物ムーピーとの間に女の子を何人も作ったのがきっかけで、人口が増え始めていたのです。
伝説の女王と祭り上げられたロミですが、どうしようもない地球への望郷の想いは深まるばかりで、少年コムを連れて故郷への旅に出ます。

角川文庫版の「火の鳥」は全て読みましたが、最も切なく哀しい読後感が迫ってくる一編。
ロミは何も女王になりたかったわけじゃないんですよね。
テーマ的には『誰にもふるさとがある』というところでしょうか。

途中からロミとコムに同行する宇宙飛行士牧村が良い味出しています。
そして物語の小道具として登場するテグジュペリ「星の王子様」、これは反則でしょう(笑)。
読者を泣かせる気か……泣かせる気なんでしょうね。

手塚治虫を読み始めた頃、ガツンとやられた作品の一つです。
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「日本怪奇小説傑作集1」

2006/07/16 17:02
日本怪奇小説傑作集1」(紀田順一郎・東雅夫編/創元推理文庫)を読みました。
2005年発表。同文庫のロングセラー「怪奇小説傑作選」の日本版。
この第一集は明治35年から昭和10年までに発表された作品を17作収めています。

去年ホラーばかり読んでいた頃、ホラーは語り口が大切だと思い、翻訳ものばかりではなく日本の小説も読んだのですが、現在の小説家に語り部的な文体を期待する方が間違いでした。
話の内容も期待するものとは違う。
例えばわたしには幽霊というと、髪の長い白い着物の若い女のイメージがあります。
しかし今時そんな幽霊出ませんよね。
髪の長い若い女性はいるだろうけど、着物着ている人は少ない(笑)。

そんなわけで、小泉八雲から泉鏡花に夏目漱石、その弟子の芥川龍之介と内田百閨A森鴎外や川端康成などの名文章家たちの怪奇短編を集めたこのアンソロジーを読みました。

たった100年位前の作品群なのに、なんか世界が違うというか、日本人の意識や風俗の変化って早いものだなあと思いました。
アイデンティティに欠ける国民性とはいえ、これほどまでの別世界かと。
わたしが翻訳小説や奇人変人の話に惹かれるのは、自分からできるだけ遠い世界観や人生観に触れたいからだと思うのですが、少し前の日本はまさに外国ですね。

さて収録作品の感想です。
代表作を読んだことのある江戸川乱歩「鏡地獄」や夢野久作「難船小僧」は相変わらずというか久しぶりと言う感じ。
恥ずかしながら初読の小泉八雲「茶碗の中」は、編者紀田順一郎の師匠平井呈一の翻訳。
茶碗の中に人の顔が浮かぶという話で、じんわりと良い。
岡本綺堂の「木曾の旅人」もどうという話ではないが味わい深く、必読リストに入れました。
夏目漱石と森鴎外はともに「蛇」という題の作品。そういえばスタインベックにも同名の異様な話がありました。

個人的にグッと来たのは次の二作。
谷崎潤一郎「人面疽」と室生犀星「後の日の童子」。
前者は主演女優自身が撮影した記憶がないという出所不明の映画の話で、まさに怪談ですね。知らないうちに人々の知るところとなってゆくところが怪談の性質。
後者は怪奇というより物悲しい話です。
亡くなった幼い息子が両親のもとに度々訪ねて来るという話で、実際室生犀星は我が子を失っているというエピソードを読むと何とも切ない気持ちが伝わってきます。

ラストに収録されているのは「文学の極意は怪談である」という言葉を残した佐藤春夫「化物屋敷」。実話だそうです。
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「20世紀SF〈2〉1950年代―初めの終わり」

2006/07/15 23:55
20世紀SF〈2〉1950年代―初めの終わり」(中村融・山岸真編/河出文庫)を読みました。

英語圏の傑作SF短編を収録したアンソロジー、これは50年代の作品群が収録されています。「初めの終わり」という副題は、冒頭に収録されているレイ・ブラッドベリの作品名から。

今年の頭から週1、2冊の古典的SFを読んでいるのですが、現在のところはまだ50年代の作品が中心なので、個人的に興味深い一冊でした。

半世紀前の作品群ということなので、わかる人にはその古さがわかるかも知れません。
しかし新訳や改訳の効果もあってかわたし個人は、古さを感じることはありませんでした。
ラインアップ的には半分くらいは名前を知っている小説家の作品が収められており、個人的に集中的に読んでいるディックとスタージョンの作品もあります。

リチャード・マシスン「終わりの日」は、このシリーズの編集者が収録作品選択の際、同時に真っ先に名を挙げたということですが、なるほど名作。
地球最後の日の朝、破れかぶれになった末の酒とセックスのパーティから目覚めた男が目指した場所とは……。そして彼が最後に決心したこととは……。

この前クリフォード・D・シマック「中継ステーション」を読み、SFなのに牧歌的な話だなあと思ったのですが、ここに収録されている「隣人」はさらに牧歌度高し。
良いわ。

エリック・フランク・ラッセル「証言者」は、なんと宇宙人を地球の法律で裁こうとする、とんでもない設定の作品。
しかし珍品ではなく、人間の残酷さと愚鈍さ、同時に正義と心の暖かさとを感じさせる良い話。

シオドア・スタージョンの「たとえ世界を失っても」は、短編集「一角獣・多角獣」翻訳の際割愛された一編。なんでも同性愛を肯定的に書いた世界初のSF作品だそうです。
傑作ですが、この文庫本が出版された2000年頃は「一角獣・多角獣」は入手困難で幻の一冊状態だったわけで、編集者の目の付け所がグッド。

収録作品がすべて面白く、ハァ?と感じるものは一作もなし。
素晴しいアンソロジーだと思います。
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ヘンリー・ジェイムズ「ねじの回転」

2006/07/09 23:55
ヘンリー・ジェイムズ「ねじの回転 -心霊小説傑作選-」(南條竹則・坂本あおい訳/創元推理文庫)を読みました。

夏になったので、怖い話を読もうと思います。
去年も今頃ホラーばかり読んでいたのですが、今年は怪談というか怪奇小説的なものを読んでいこうかなと。
特に古いものを読もうと考えています。

「ねじの回転」は非常に難解で、幾通りの読み方が可能だそうです。
しかしわたしは単純に恐怖譚としてして読みました。
幾度も、これは繊細で感受性の強い女性主人公の妄想ではないかと思いましたが……。

この作品は20年前になくなった女性の手記という形をとっており、それによると事件当時彼女は二十歳前後、二人の幼い兄妹を教育するため大きな屋敷に赴任しました。
兄妹はそれはもう美しく、利発で、彼女もまた自分の仕事に満足していたのですが、時折謎の男女の姿を見るようになり、女中頭のグロース夫人に相談します。
どうやら、男の方は昔館にいた召使、女性の方は主人公の先任の家庭教師のようです。
当時ふたりはただならぬ関係にあり、現在はふたりとも亡くなっているという。

子供たちを誘惑し堕落させようとするのがふたりの狙いだと感じた彼女は、子供たちを守るために奮闘します。
しかし子供たちは既にふたりに魅了されており、彼女が子供たちを救おうとすればするほど、その関係に距離ができてゆきます。

子供たちの一挙一動に過剰に反応し、そこから何かのサインを探そうとする主人公。
こうなるともう、ノイローゼ一歩手前の心理状態です。

しかしこの心理状態、何かの心理に似ているなと思ったら、恋愛のそれに似ている。
そういえばこの手記の提供者は、彼女が恋をしていたことを指摘していますが……。

他にも幽霊が家賃を払う(笑)「幽霊貸家」や、書かれる本人が伝記作家に干渉してくる「本当の正しい事」など、四作の短編を収録しています。
ジェイムズの作品は悪文で難渋難解、理解するのが難しいとのことですが、わたしには読み易かったです。
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ブライアン・W・オールディス「地球の長い午後」

2006/07/08 17:02
ブライアン・W・オールディス「地球の長い午後」(伊藤典夫訳/ハヤカワ文庫SF)を読みました。1962年度ヒューゴー賞受賞作。

遠い未来。死をまじかに控え膨張する太陽。
自転が止まり、その半分がずっと昼間となってしまった地球。
そこは植物の王国と化し、ほとんどの動物が死滅してしまった世界。

そんな中人々はひっそりと、そして常に死の危険に晒されながら生きています。
植物たちは生き延びるためそれぞれの形で進化し、浮遊するものもいれば、歩行するものもいる。
それはまるで新種の生物の様でもあります。
こんな変態的な植物が次々と登場します。

主人公はグループから離脱した、はねっかえりの少年グレン。
旅の途中で出会った他の部族の少女、ヤトマーとともにサバイバルの旅を続けてゆきます。

この作品の魅力を考えるに、徹底した物語世界の構築度の高さが指摘できると思います。
物語興味という点についてはあまりピンと来ませんでしたが、先にも書いたように奇妙な形に進化した動植物や人類(のようなもの)の数々や、圧倒的に異様な世界を創造したその想像力に驚かされる。

面白かったかどうかと問われれば、一読者のわたしとしてはあまり面白くは感じませんでした。
ただ、オールディスと同業者(小説家)がこの作品を読んだとき、嫉妬したり、悔しがったり、憧れを持ったりすることは想像に難くはないだろうと思いました。
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アイザック・アシモフ「ファウンデーションの彼方へ」

2006/07/01 19:55
アイザック・アシモフ「ファウンデーションの彼方へ〈上〉―銀河帝国興亡史〈4〉(下)」(岡部宏之訳/ハヤカワ文庫SF)を読みました。
1983年ヒューゴー賞受賞作品。

「銀河帝国興亡史」の第四部として、約30年振りに発表された続編です。

歴史心理学の権威ハリ・セルダンが、隆盛を誇った銀河帝国の衰亡を予測し、その後やってくる三万年の暗黒時代を千年に短縮するため、銀河系の果てに二つのファウンデーションを建設してから五百年、計画は順調に進んでいました。

しかしそれに異を唱える人物がいました。惑星ターミナスの第一ファウンデーションの若き政治家トレヴァイルです。
今や銀河帝国並みに発展したターミナスでは第二ファウンデーションは存在しないことになっているのですが、彼は持ち前の直感で第二ファウンデーションの実在と、第二ファウンデーションによる第一ファウンデーションへのコントロールを指摘します。
半ば追放状態でターミナスを飛び出した彼のパートナーは考古学者ペラロット。
彼は、知的生命の源の星と言われる『地球』を探したいと考えています。

一方、第二ファウンデーションではジェンディバルという秀才が、ある推測をします。
第一ファウンデーションを心理的に支配し、セルダンの計画通りに修正してゆくのが彼らの使命ですが、ジェンディヴァルは第二ファウンデーションすら操る第三者の存在を感じるのです。

どちらも『セルダン・プラン』の展開が順調過ぎるというところから疑問を持ち始めるのですが、このライバルとも似た者同士ともいえる二人の活躍が物語の中心。
予測どおりこの二人はある地点で出会うことになるのですが……。

作者のアシモフは50年代に書いた三部作を再読し、このシリーズが完結していないことに気づき(笑)、続編を書いたということらしいのですが、見苦しい後付け設定などなく、すんなりと物語は続いている印象。特に矛盾も感じず、その辺は違和感なし。
欲を言えば長過ぎるかなというところ。
決して水増している訳ではないのだけれど、途中でダレましたね。

それにしても前作「第二ファウンデーション」が、完結になってないことはわたしも感じましたが、この「ファウンデーションの彼方へ」もまた、それなりに決着を着けつつも、新たな謎と冒険への予感を感じさせながら終結します。

正直、まだ終わんねーのかよ/まだ続きが読めるのか!という、アンビバレンスな気分です。
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