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マーク・トウェイン「不思議な少年」

2006/08/27 23:57
マーク・トウェイン「不思議な少年」(中野好夫訳/岩波文庫)を読みました。
作者の死後、1916年発表。

1590年オーストリアのある村。季節は冬。
当時少年だった『わたし』は親友ふたりと森で遊んでいた時、不思議な少年に出会います。
彼は驚くほどの美貌と美声の持ち主で、話も巧み、そして無から有を生み出す能力を持っていました。
名はサタン。イブを誘惑したあの堕天使サタンの甥にあたり、その正体は天使だというのです。

サタンは一体何者なのか、という話ではありません。
この小説の中での彼は文字通り天使です。
一瞬のうちに『わたし』を中国まで連れて行ってくれたり、人の運命を変える力を持っています。
そのサタンとの関係の中で『わたし』は人間というものの本性を見せつけられる。
犬や馬のような動物と違って、良心(偽善の心)とか悪のような考えを持つ人間の愚かさと惨めさをサタンは主張します。

彼は天使であり、人間とは別のレベルにある存在。
そんな彼からすれば、人間など取るに足りない存在なのです。
例えば蟻のような。
わたしたちが歩いている時蟻を踏み殺しても何も感じないが、蟻塚を見たときは少しばかり興味を抱く……サタンにとって人間とは、その蟻のようなものなのです。

晩年不幸が続き厭世的になっていたと伝えられるトウェインの本音が寓話的に語られる作品です。
しかしサタンが非常に魅力的に描かれており、陰惨さは感じられません。

今日テレビでは毎年恒例の24時間テレビ「愛は地球を救う」を放送していました。
一年がかりで一生懸命お小遣いを募金に回した小学生などを見ると胸が一杯になりますが、サタンだったらどう答えるでしょうか?
わたしの考えではこうです。
「知っているかい?あの司会者のギャラは数千万円だってさ」。
「達成力のなさそうなタレントをあえて選んでマラソン?走って何か意味があるのかな。自動車を使えば良いじゃないか。実際放送されてないところでは使ってるんだし(笑)」。
そんなところでしょうか。
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ブラム・ストーカー「吸血鬼ドラキュラ」

2006/08/20 17:26
ブラム・ストーカー「吸血鬼ドラキュラ」(平井呈一訳/創元推理文庫)を読みました。1897年発表。

ルーマニアの貴族ドラキュラ伯爵がイギリスの屋敷を購入する件で、弁理士ジョナサン・ハーカーはトランシルヴァニアの彼の屋敷を訪れます。
ドラキュラに会見し、どうもおかしな人物だなと思ったハーカーですが、屋敷に軟禁されてしまいます。

一方イギリス。
一日のうちに三人もの若者にプロポーズされたルーシー。
彼女は夢遊病の気があり、友人のミナを心配させていました。
ある晩ミナの監視を抜け出して外へさまよい出たルーシーは、発見された時その美しい首に二つの小さな傷跡を付けられていました。

求婚者の一人セワード医師はどうしてもその傷を治療することができず、恩師であるアムステルダム大学のヴァン・ヘルシング教授を招きます。
教授は多くを語りませんが、何か思い当たる点があるらしい。
後に語られた事実は、到底信じられないものでした。

レ・ファニュ「吸血鬼カーミラ」の影響下書かれたこの作品は、当時の人気作家だったコリンズの「月長石」と同様、日記や手紙、電報などで構成されています。
後半陸路水路と三方向からドラキュラ伯爵を追いつめてゆくくだりは、目まぐるしく語り手が変わり、映画でいうカットバックのような効果があります。当時としてはかなり斬新な手法かも知れません。
とはいえ、のんびり感は否めません。

登場人物は型にはめたようなステレオタイプの人が多いです。
ルーシーとの結婚を希望する三人は典型的イギリス紳士アーサー(本命)、行動的なアメリカ人キンシー、インテリのセワードと、けっこうベタです。
加えて、情熱を内に秘めつつ表面は冷静沈着なヘルシング教授。屋敷を脱出した努力家のハーカー、彼の妻でルーシーの幼馴染みミナ。
彼ら6人が神の御加護の元、邪悪の化身ドラキュラ伯爵を追い詰めるわけです。
ホラーとしての怖さより、この信心深い彼らの強い絆と使命のほうが強調されている感じですね。

書かれた時代が時代ですし、構成も主に日記の羅列ということで物語は遅々として進みません。
読者としてはこの辺を許せるかどうか。
また翻訳はこの道の泰斗である平井呈一によるものですが、『飯屋』とか『横町』のような表現の古さを許せるかどうか。
とりあえず新訳は出ているようですが。

古典を読むときはそれなりの心構えが必要かもしれません。
わたし個人は古い翻訳に慣れているので不満はありませんでした。
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フィリップ・K・ディック「流れよわが涙、と警官は言った」

2006/08/19 12:55
フィリップ・K・ディック「流れよわが涙、と警官は言った」(友枝康子訳/ハヤカワ文庫SF)を読みました。1974年発表作品。ネタバレ注意。

ジェイスン・タヴァナーは三千万の視聴者を持つテレビショーのエンターテイナー。
ある瞬間より、彼は『存在しない男』となってしまいます。
彼のID記録は情報バンクに存在せず、出生記録もなく、誰も彼のことを知らない。
どうしていいかわからない彼は、偽のIDカードを偽造したことにより警察より追われる身になります。
そんな中、ロサンゼルス警察アカデミーのフェリックス・バックマン警察本部長は、タヴァナーに強い関心を持ちます。
タヴァナーの主張は真実なのではないかと。

この作品の主人公はふたり。
タヴァナーとバックマンです。
タヴァナーは『スィックス』という、秘密裡に行われた優生学的な実験対象の生き残りのひとり。
バックマンは優秀で権力を持った威厳ある人物。
どちらかひとりに絞ればバックマンですね。

タヴァナーが最初に登場し、その心理描写も多く、最初の100nくらいまではこの人が主人公なのだろうなあ、きっと後半で孤独感と寂寥感に苛まれて、あてどもなく彷徨するのだろうなあ(笑)と勝手に思って読んでました。
違ってたけど。

第一部はタヴァナーの困惑と逃走を描いており、ああ、またこのタイプの話か(笑)と思うのですが、第二部ではバックマンが登場した辺りから、タヴァナーが普通の人間ではないことが明らかになっていきます。これはわたし的には新機軸。
もっとも、途中からいつかの『人間と人間に近い別のものの決定的な差異』の話になってしまいますが……。

ディック作品を偏って読んできたからかもしれませんが、この人の長編は同じ作品をずっと先鋭化させながら、少しずつ設定を変えつつ書いて来たような気がします。

印象としては「高い城の男」+「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」÷2的作品。
また作中に登場する新ドラッグは「パーマー・エルドリッチの三つの聖痕」に出てきたそれに匹敵する、超反則的効能があります。
こう書くと何だか凄い名作の気がしてきたぞ(笑)。
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メアリ・シェリー「フランケンシュタイン」

2006/08/12 21:33
メアリ・シェリー「フランケンシュタイン」(森下弓子訳/創元推理文庫)を読みました。
1818年発表。この翻訳は1831年の第三版から。

雷鳴轟く深夜、ドイツの某研究所で鬼気迫る表情のマッド・サイエンティストが人造人間の創造に成功、フランケンシュタインと命名します。
しかしフランケンシュタインは怪力と邪悪な精神の持ち主で、生まれた直後博士を殺めると街へ飛び出します。
パニック状態に陥った街中で破壊と殺人にいそしむフランケンシュタイン。
この化け物と警官たちとの戦闘が始まり……。

……というのがわたしの「フランケンシュタイン」という作品のイメージ。
しかし読んでみると、全然違うんですよね。

まずフランケンシュタインというのは、ジュネーブに住む、向上心と希望に溢れたひとりの優秀な学生の名。
彼の好奇心によって生み出された怪物に名前はありません。
また、怪物には亀やワニほどの知性しかないと思っていたのですが、これも間違い。
誕生当初はともかく、フランケンシュタインと再開した頃には人間らしい感情と知性に加えて、強い意志を持った存在と化しています。

この怪物の悲劇は人間らしい感情を持ってしまったことから生まれます。
あまりの醜さに人から恐れられ忌み嫌われる彼は人生を呪い、自分を生み出したまま遁走したフランケンシュタインに復讐することを決意します。
無計画に通り魔のように人を殺すのではないのです。
フランケンシュタインの大切な人物を一人一人と殺し、彼を苦しめようとするのです。
一方フランケンシュタインは恋人との結婚をまじかに控えていました。

「フランケンシュタイン」はSF小説の起源と言われると同時に恐怖小説の古典でもあります。
これほど有名な作品でありながら、実際に読んだ人はあまり多くなく数々の誤解をされてきました。
ここで語られるのは好奇心からまがい物の神となってしまった男が、復讐の鬼と化した怪物から与えられる苦痛と苦悩です。
同時にそこにしか目的を見出されない醜く孤独な怪物男の不幸。

作者のメアリ・シェリーは英ロマン主義の詩人シェリーの奥さん。
これは知っていました。
しかし彼女がこの作品を書いたのが19歳の時というのは初耳。
嫌な19歳だな(笑)。
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コナン・ドイル「北極星号の船長」

2006/08/06 18:48
コナン・ドイル「北極星号の船長 <ドイル傑作集2>」(北原尚彦・西崎憲編/創元推理文庫)を読みました。
「ドイル傑作集2」とありまして、コナン・ドイルの怪奇小説家としての一面にスポットライトを当てた短編集です。

ドイルというとわたしなどホームズ物しか読んでいないんで、どういう感じかなと興味がありました。
「バスカヴィル家の犬」などはちょっとオカルトでしたが。

で、この短編集、看板に偽りなしで本当に「怪奇小説」しか採録されていません。
しかもフォローしている範囲が広い。
いわゆるウーマというんですか……未発見の怪獣、降霊術、呪術など。

前半に収められている「大空の恐怖」「青の洞窟の恐怖」などは、プチ秘境ものというか、見たこともない化け物に襲われるという話。
面白いのは後者では、怪物に関しての考察があるところ。
ただ怪物が出たというだけでなくて、主人公がその怪物の生態に科学的な分析をするんです。

晩年息子を失った悲しさからオカルトにのめり込んでいったと伝えられるコナン・ドイルですが、ただ不思議を不思議なまま終わらせず、現象を科学的に解釈しようという態度が仄見えて興味深い。
「深き淵より」は海の幽霊話で、一応合理的な解釈が語られるのだけれど、そちらの解釈の方が怖いという奇妙な読後感。

「樽工場の怪」はミステリ的な興味でも読める作品。
密林の工場で夜番をしている者が跡形もなく消えるという事件が連続する。
最後の数ページで謎が明らかになるのですが、なるほどホームズの生みの親の作品だと納得。

「ヴェールの向こう」「いかにしてそれは起こったか」は現代の日本ではショート・ショートとも呼べるボリューム。前者は後味の悪さが良い。
訳文も良いですが、話の持って行き方がドイルという人は巧いですね。
最後に収録されている「寄生体」は呪術を扱った本格的ホラー作品。傑作です。

個人的に面白かったのは「火遊び」。
降霊術を扱った話なのですが、悪乗りし過ぎというか、衝撃的いや笑劇的な話です。

オカルト興味に溺れることなく科学的な態度も崩さないバランス感覚。
コナン・ドイルはシャーロック・ホームズの生みの親というだけではなく、非常に優れたストーリーテラーとして認識されるべき小説家だと思いました。
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フィリップ・K・ディック「ユービック」

2006/08/05 17:22
フィリップ・K・ディック「ユービック」(浅倉久志訳/ハヤカワ文庫SF)を読みました。
1969年作品。

舞台は1992年。
『不活性者』たちを用いて、エスパーたちの侵犯行為を無効化する事業をしているランシター。
今回彼に持ちかけられた仕事は一世一代の大ビジネスでした。
月で行われている大規模なの秘密プロジェクトに忍び込んだエスパーらの能力を中和して欲しいというのです。
総勢11人の『不活性者』たちとともに月の施設に向かったランシターは、相手側の爆弾攻撃を食らいます。
ランスターは死亡、彼の後釜のジョー・チップは残されたメンバーと地球に戻りますが、ほどなくして時間が退行し始めていることに気づきます。

ユニークだと思うのはメンバーたちがタイムスリップし続けているのではなく、彼らを取り巻く世界そのものが時間的に戻ってゆくという点。
しかもその境遇にあるのは彼らだけなのです。
そのうちメンバーがひとりまた一人と、謎の死を遂げてゆきます。

変貌し続ける世界で、あるときはタバコのカートン箱の中から、あるときはトイレの落書きと、手を変え品を変えランシターから送られてくる意味不明のメッセージ。
そして退行現象を無効化するという謎のスプレー『ユービック』の存在。

と長々と書いてしまいましたが、物語設定そのものが込み入っていることや『死』という概念がこの小説では通常のそれと違っていたり、上に書いたあらすじではその内容の半分も紹介できません。

何が起こっているのか最初わからないのだが、徐々に理解し始めるジョー。
ところがその解釈もまた間違っていて……という展開が何度か続きます。
ディックの他作品と比較するとかなりスリリングな部類の作品だと思います。

退行現象を起こしている敵とその動機、救いの神のような不思議なアイテム『ユービック』の謎とを絡めた展開はミステリ的です。
そういう興味だけでも充分楽しめる作品。

ちなみにカバー裏のあらすじ紹介や、訳者の解説にはネタバレがあるので要注意です。
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