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スタンリイ・エリン「九時から五時までの男」

2006/09/24 23:57
スタンリイ・エリン「九時から五時までの男」(小笠原豊樹・他訳/ハヤカワ文庫)を読みました。短編の名手と言われたエリンの、意外にも初めての文庫本による短編集。
原書は1964年発表。

わたしだけかもしれませんが、スタンリイ・エリンという小説家はどうも良くわからないところがあります。
彼と並び称されるロアルド・ダールはダール節とでも言うべき、はっきりとしたユーモア感覚や皮肉な視点があり、それが個性とも魅力とも言えるのですが、エリンの場合、その作品世界に一貫性が感じられず、掴みづらい印象があるのです。
しかしこの間「特別料理」を再読し、分かったような気がしました。
この「九時から五時までの男」も、二年振りの再読です。

表題作「九時から五時までの男」。
判で押したような毎日を送る男。起床し、顔を洗い、歯を磨き、妻と世間話をしながら朝食をとり、電車に乗って事務所へ。そして五時には退社。帰宅した後妻といつもと変わらない夜を過ごす……。
実は彼はある犯罪を生業とする男なのです。

しかし、平凡なビジネスマンを装う男の『意外な』正体!という話ではなく、この変わった人物の日常を耽々と語っているだけの話なのです。
変でしょう?どうやらこういう小説家のようです。
収録されているのはこんな作品ばかりではないのですが、この作品は敢えて言うならエリンらしさというのを象徴していると思いました。

「蚤をたずねて」は、乞食の語る奇妙な話。
彼はかつて一世を風靡した蚤サーカスの芸人だったのですが、色々あってサーカスは解散、現在は落ちぶれている……。
最初読んだときは、その男の語る話自体が読みどころかと思ったのですが、再読して印象が変わりました。
つまりこの男の正体とは何だろう?ということ。

@かつての栄光として本当の話をしている、落ちぶれた芸人。
A頭のおかしい乞食。
Bホラ話を面白おかしく語って報酬を得ようとする乞食芸人。

Bが妥当だとは思うものの、@やAの解釈も可能です。はっきりした答えは出ません。
これもエリンの個性かと。

「九時から五時までの男」はその性格上、落ちのない話です。
作品名は挙げませんが落ちのないのが落ちという話も収録されています。
作品の構成自体が変ですよね。

個人的にグッと来たのは「運命の日」
新聞に載ったギャングの死体写真。それは少年時代の親友の成れの果てでした。
そして主人公はかけがえのないあの頃の日々……いや、あの運命的な日のことを思い出す。
この作品は凄い傑作だと思います。
……ていうか、「スタンド・バイ・ミー」の元ネタか?
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スタンリイ・エリン「特別料理」

2006/09/17 23:56
スタンリイ・エリン「特別料理」(田中融二訳/早川書房)を読みました。

20年くらい前O・ペンズラー選のアンソロジー「魔術ミステリ傑作選」(創元推理文庫で新装版あり)を読んだときに、エリンの「決断の時」に感動し、その直後彼の作品集であるこの「特別料理」を読んだことがあります。

その時の印象は『凡庸』の一言。
読み始めてすぐに結末が予想できるような作品ばかりでした。
短編の名手と聞いていたので、不思議に思った記憶があります。
結末に驚いたのは「クリスマスの凶事」くらい。しかしこんなショート・ショート向きの話をここまで引き伸ばすかなあと思ったり。
しかし今回再読し印象が変わりました。

この人の作品はミステリをそこそこ読んでいる人ならすぐにネタが割れてしまうようなものばかりで、読んでいる最中、待てよこの展開どこかで読んだ気がするという既視感があります。当時のわたしはそこに不満があった。
しかし、この人が書きたいのは『意外な結末』ではなく、結末に至るまでの話の流れなんですね。
優れた小説は再読三読がきくとよく言われますが、エリンの小説は初読でも再読しているような感じがあるんです。
そこを楽しめるかどうかというわけ。

したがって彼の作品はその語り口が命ということになります。
そういう意味では翻訳者泣かせの小説家ということ。
本来原文で楽しむ必要度が高いということらしい。

「決断の時」は、タイトル自体がネタバレのような作品。
思えば当時この作品にグッと来たのは、結末よりもそこに向かって深まって行く不穏な雰囲気によるものだったし。

何のことはない、わたしはエリンの魅力を知っていたんじゃないか(笑)。
ロアルド・ダールと双璧と言われており、作風は違うものの目指すものは同じ。
ダールの魅力は知っていたのですが、なぜ気付かなかったのか。
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ジャック・フィニイ「レベル3」

2006/09/16 23:00
ジャック・フィニイ「レベル3」(福島正実訳/早川書房)を読みました。

ニューヨーク、グランド・セントラル駅には地下2階までしかないはず。
しかし彼は構内で迷い、地下3階に出てしまいます。
そこあったのは19世紀末のホーム。きっとここから『あの場所』へ行けるはずだと彼は考えます。
彼は夢想します。
あのホームから妻と、子供の頃祖父から聞かされた、平和と幸福の象徴である1894年の―微風の街―ゲイルズバーグへ向かうことを。
(「レベル3」)

収録されているそのほとんどが過去への憧憬とタイムスリップをモチーフにした短編集。
ジャック・フィニイという小説家はミステリもSFも書いていますが、一般的にはやはりファンタジー系の小説家という印象が強いのではないかと思います。
というか、わたしはこのタイプのものしか読んでませんので、偉そうなことは言えませんが。

ここではないどこか、というのはSFやファンタジーに限らず魅力的な小説の素材だと思います。
しかしフィニイの作品の場合、まず過去ですね。それも19世紀末。
この短編集が発表されたは'50年代のこと。
現在彼が生きていたら、21世紀をどう思うでしょう。

当時の『現代』が嫌だと作者は考えているようですが、それでも現在を生きるわたしには、これらの作品やこの時代には牧歌的で幸福な印象があります。
登場人物たちは皆、ものわかりの良い両親、無邪気な若者、優しい妻といった感じで暖かい感じがする。
わたしなどに言わせると、'50年代のアメリカは20世紀で最も幸福な場所という印象なんですがね。
コメディタッチの作品も少なくない。

ラストに収められた「死人のポケットの中には」は秀逸な一品。
ちょっとした理由で摩天楼のアパートの窓からせり出しに降りたら、部屋に戻れなくなった男の話。
高所恐怖症の人には地獄的な怖さ。
下手なホラーより怖いです。
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「乱歩の選んだベスト・ホラー」

2006/09/10 23:58
乱歩の選んだベスト・ホラー」(森英俊・野村宏平編/ちくま文庫)を読みました。

最初に江戸川乱歩の書いたエッセイ「怪談入門」が収録されており、その中で触れられている数多くの怪談小説のうち、選ばれた11作に加えて、最後に乱歩本人による作品が収められているアンソロジーです。

これらの11作が選ばれた根拠というのは良くわからず、『ベスト・ホラー』というには看板に偽りありかな、と思ったりもします。

収録作品はヴァラエティに富んでいて、有名作ジェイコブズ「猿の手」エーベルス「蜘蛛」、初訳のベンスン「歩く疫病」コリンズ「ザント婦人と幽霊」、横溝正史の訳による珍品アルデン「専売特許大統領」など。
基本的にスコットランドやアイルランドの小説家も含めて、イギリス系の作品が多い。
古い怪談はやはりイギリス系ですね。

非常にまっとうな怪談と思われるのは、「猿の手」とオリファント「廃屋の霊魂」。
後者は、隣の荒れた無人の屋敷から夜な夜な「ああ、かあさん入れておくれ!ああ、かあさん、かあさん、いれておくれったら!……」と哀しげな懇願の声が聞こえてくるという話。

ダンセイニ「災いを交換する店」とアルデン「専売特許大統領」は、タイトル通りの話で、まさに奇想小説。

マクドナルド「魔法の鏡」は、鏡の中だけに現れる美女と学生の恋を描いたもの。
これも怪談というよりは、美しくも悲しい物語です。

映画「ゴースト」を思わせる(観てないけど)、コリンズ「ザント婦人と幽霊」はこれまた怖くないのだけれど、ヒロインと主人公の娘の描き方が非常に巧み。
ウィルキー・コリンズという小説家は個人的に非常に気になります。
いずれまとめて読んでみたい。

最後に収録されている江戸川乱歩「目羅博士」は正直言って微妙かなと。
もちろん江戸川乱歩を軽く見ている訳ではないですよ。
「孤島の鬼」「陰獣」「屋根裏の散歩者」「押し絵と旅する男」など、昔良い(?)思いをさせていただきました。
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スティーヴン・キング「ダーク・タワー<3>荒地」

2006/09/03 16:27
スティーヴン・キング「ダーク・タワー〈3〉荒地〈上〉〈下〉」(風間賢二訳/新潮文庫)を読みました。

今週小学生たちは夏休みの宿題に追われていたことと思いますが、わたしも宿題に追われていました。
といっても、サボったところで誰にも怒られませんが。
「ダーク・タワー」シリーズ続編、半年振りに読みました。

拳銃使いローランドは仲間になったエディ、スザンナとともに暗黒の塔を目指す旅を続けています。
第二部ではロブスターの化け物の毒に侵され苦しんだローランド、今度は二重の記憶のために発狂しそうになっています。
一方彼らのいる世界と違うわれわれが暮らす世界では、第一部に出てきた少年ジェイクも似た症状に悩まされていて……。

この第三部では、遂に暗黒の塔への道しるべが現れます。
そして新しい仲間の加入。
ひとりは予測通り、ローランドを慕うジェイク少年。
そしてもうひとりというか、一匹というべきでしょうが、犬を思わせる賢さと忠誠心を持った小動物ビリー・バンブラー(名前は『オイ』)。

このオイが良いんですよねぇ。
人の言うことをオウムのように反復する習性があって、ジェイクにしか懐いていない。
途中でローランドがオイの死を予測する場面では悲しくなりました。

向かうべき道がはっきりし仲間も揃った。やっと物語が軌道に乗った感じです。
しかしながら、前二作を読んだときに感じた不安はそのまま。

登場人物のリアリティが薄い感じがしますね。
ひいきのエディはわかり易い性格ですが、敵役のチクタクマンの薄っぺらさ加減とか、ジェイクのベタなガキキャラ振りが気になります。
頭にパラボラアンテナを付けた70フィートの熊の化け物とか、なぞなぞが好きなイカれたモノレールとかも、興ざめ感強し。

はあ、これがあの「グリーン・マイル」を書いたキングの作品とは。
いや、しかし、第四部からは面白くなるに違いない。
たぶん、きっと。
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フィリップ・K・ディック「スキャナー・ダークリー」

2006/09/02 16:19
フィリップ・K・ディック「スキャナー・ダークリー」(浅倉久志訳/ハヤカワSF文庫)を読みました。1977年発表。

麻薬課のおとり捜査官フレッド。ロバート・アークターと名乗り、ジャンキー連中と生活しています。
彼らの行動はアークターの家に設置された監視カメラで逐一記録されています。
警察は彼らから麻薬のルートを突き止めようとしているのです。

麻薬組織はその情報網をあらゆる法執行機関に広げているため、フレッドを始めその関係者は署内でスクランブル・スーツを身に着けています。
スクランブル・スーツを着用すると、その容姿も声の特徴も均質化するため職員同士でも互いの正体を知ることはありません。それはフレッドの上司とて同じです。
ある日フレッドは上司にこう指示されます。
「しばらくは、おもにボブ・アークターを観察してくれ」。

フレッドはアークターとして危険な任務についているのだから多額の報酬がある。
しかし当局はアークターの金回りの良さに疑問を持っているのです。
管理社会の矛盾が可笑しい。

さらに皮肉なのは麻薬おとり捜査の矛盾。
それはおとり捜査を続けてゆくうちに本人が本物のジャンキーになってしまったり運び屋になってしまったりして、『あちら側』の人間になってしまうこと。
フレッドは運び屋になったりはしませんが、ドラッグ『スロー・デス』の常用により徐々に心身を蝕まれてゆきます。

二重の皮肉と、見方を変えれば間抜けともいえる奇妙な展開。
読者は同情すれば良いのか笑えば良いのか。
ディック自身ジャンキーまで身を持ち崩したこともあるし、麻薬で数多くの友人を失っています。
この作品は彼らに向けた鎮魂歌であって決して作者としては笑えるものではないのですが。

次のセンテンスにネタバレがあるので注意してください。
中盤まではドラッグの妄想によるジャンキーたちのくだらないバカ話が延々と続きます。
読んでると馬鹿馬鹿しくでだるくて嫌になってきますね。
後半に入ると、置かれている立場とドラッグの影響のため自分がフレッドだかアークターだかわからなくなってきた彼のモノローグが続く。
彼の思考が次第に破綻してゆく有様は、例えるならダニエル・キイス「アルジャーノンに花束を」のダーク版という感じでしょうか。

良くわからないのはこの作品'77年に本国で出版されたのだけれど、この30年の間に三回も翻訳がされていること。
この浅倉訳は'05年発表で最も新しい。
この作品おそらく会話がスラング満載なようで、正直言うと浅倉訳は今時の日本語として少し違和感がありました。'70年代の若者の喋り方のような感じ。
浅倉氏がかなり参考にしたという創元文庫の山形浩生訳と読み比べるのも面白いかもしれません。
ここで全文読めます。http://cruel.org/books/scanner/scanner.pdf
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